淫夢厨で良かったこと。悪かったこと。
人は皆、心の中に故郷を持つ。
かつてギリシャの詩人、ホメロスは「人生は幸福より不幸の方が二倍多い。」と言ったことが知られているが、このような言葉に代表されるごとく、世の中が辛さや悲しさ、ある種のやりきれなさに満ちているということは、洋の東西を問わず、今も昔も同じであるらしい。
だから人は、どうしようもないような人生の壁にぶち当たった時、しばし立ち止まり、心の中の故郷へと回帰するのだ。
故郷は、目の前の辛い現実をしばしの間忘れさせてくれ、心の平穏を取り戻させてくれる。
世の中が苦しみに満ちていることは、何も今に始まったことではない。そんな悠久な時の流れの中で、今更あがいたって仕方がないではないか。
人は心の故郷に回帰することで平穏を取り戻し、また、現実の社会へと帰っていく。
人は誰しも、心の中に故郷を持っている。それは、この社会で生き抜くために、必ず必要なものなのだ。
俺にとって、その故郷とはホモビデオである。
■28歳、淫夢厨です
俺は現在、28歳の独身男である。
ついこないだ20になったと思っていたら、いつの間にやらあと2年で30代という領域にまで差し掛かっているのだから、人生というやつは恐ろしい。
思えば20になってからの8年間、学校に行ったり、働いたり、ニートになったりと色々していたわけだが、そんな中でずっと貫いてきたものが何であったのかと振り返った際、ホモビデオの視聴だったというのだから俺という人間はさらに恐ろしい。
俺がホモビデオを見るようになったのは、例の「真夏の夜の淫夢」がきっかけなのだが、ちょうどアレが流行りだした20歳くらいの頃は、毎日スマホにかじりついては野獣先輩の名言に触れ、ゲラゲラ笑いながら酒を飲んでいた。周囲のリア充陽キャ大学生どもが仲間とパーティーしたり、彼女とギシアンしてる中、俺の恋人は淫夢だった。
「迫真空手部」とか「虐待おじさん」とか、時を経て様々な動画が発掘されるにつれ、俺の欲望は遂に危険な領域へと突入した。周囲のリア充オタクどもが仲間と集まってモンハンしたりまどマギがどうのこうの語り合ったりしている中、俺は一人ぼっちで部屋に引きこもり、淫夢動画にせっせと赤字コメントをつけていた。
今では普通に淫夢系以外のホモビデオも見るようになったし、18禁修正のないノーカット版のホモビも見れるようになったが、やはり俺の中での正義は野獣先輩や迫真空手部の皆、虐待おじさんやKBTITにある。そして、事あるごとに心の中で語録を復唱し、野獣先輩に想いを馳せ、心の平穏を取り戻すのである。
もはや俺は立派な「淫夢厨」と言えるだろう。
■淫夢厨のデメリット
そんな淫夢厨の俺だが、やはり年齢が年齢なので、TPOをわきまえずに語録を連発し、周囲の失笑を買うというホモガキのような真似はさすがにできない。
せいぜい、酔っぱらった際に一人で歩きながら夜道で語録をつぶやいたり、数少ない女友達がLINEで「かしこまり☆」とか言ってるのに対して「それ、元ネタホモビデオやから」と指摘して顰蹙を買ったりする程度である。淫夢厨としては、比較的慎ましやかな部類と言えるだろう。
だが、そうやっておとなしく淫夢厨をやっている俺でも、やはり淫夢厨であるということで日常生活に様々な支障をきたすことがある。
中でも一番大きいのは、語録に敏感になってしまうということだ。
「真夏の夜の淫夢」は一時期流行ったレスリング系などと違い、日本産のホモビデオなので、空耳系の語録は少なく、ほとんどが日本語としてしっかり機能している。野獣先輩の語録の中にも「これもうわかんねぇな…」や「やりますねぇ!」など、日常生活で出てきても何ら不思議のないものが多く含まれており、我々淫夢厨はこういった言葉、乃至は類似の言葉を淫夢に対して無知な人間が発言してしまった際、どうしても心の中で草を禁じ得ない。
その相手が家族とか友達とかだったらつい笑ってしまったところで被害は少ないが、上司や取引先がこのような言葉を使った場合などは、何としてでも草をおさえなければならないだろう。
こないだなんて、会社で行われた割と重要めな会議で配られた資料にデカデカと「王道を征く」とか印字されてあったりして、俺は笑いをこらえるのに必死だった。
必死で草をこらえていたら脳内でヒゲクマが「セルシオばっかじゃねぇかお前ん家ぃ!」とか言いながらおもむろに白豚をしばきだしたりして、もう限界に達しそうだった。我慢するために腿をつねりまくった挙句、帰ってから見たらちょっとアザになっていた。馬鹿か俺は。
さらに、淫夢厨になると何が何でも日常で語録を使いたくなる。
相手が誰であろうとかまわず語録を使って内輪で勝手に爆笑しているキッズならば何の問題もないのだろうが、俺くらいの年齢になるとそのような真似ができるものでもない。幸い、前述したとおり淫夢の語録は頑張れば日常生活で使えなくもないようなものばかりなので、なんとか語録を使えるように、使えるようにと意識して会話の流れを持っていけば、それは決して難しいことではない。
例えば一時期、俺は文科系のヒョロガリ陰キャであるにも関わらず、返事は極力「オッス」と体育会系で行うことを心掛けていた。これは無論、自然な流れで野獣先輩の「オッス、お願いしまーす」という語録を使うために仕掛けていた、俺なりの伏線である。社会人の淫夢厨であれば、自然な流れで語録を使うため、このように様々な工夫をしていくことが肝要となる。
しかし、こうまでして頑張って使った語録が淫夢の知識がある人間に気取られてしまった場合、すさまじい蔑視の対象となることもまた、覚悟しなければならない。
大学4回生の頃、俺は所属していた研究室の中でも様々な工夫をこらして気づかれないように語録を使うことに熱中していたが、一つ下のニコ厨の男に気取られてしまった結果、一部男女の間で「キモオタホモビ先輩」という非常に不名誉な蔑称を囁かれることとなってしまった。
語録の使用はあくまで自己満足。淫夢厨は決して社会から受け入れられる存在ではなく、それが判明した瞬間、多くの人間から軽蔑され疎まれるという動かしがたい事実を、ヤフー知恵袋を淫夢ネタで荒らしたりなどして悦んでいるホモガキ共は再度、認識するべきだろう。
■淫夢厨のメリット
そんな社会から蔑まれる淫夢厨な俺だが、デメリットばかりではなく、逆に淫夢厨で良かったと感じるような場面にもしばしば遭遇する。
何より良かったと感じるのは、淫夢厨になったことで肝が太くなったということだ。
元来、俺は非常に小心な人間で、中高生の頃は体育教師のおっさんががなり立てる度に小鹿のようにビクビク震えていたのだが、淫夢に触れるようになってから、こういった強面系のおっさんに対する耐性が劇的に向上した。
こないだも、今行ってる会社の社長(安部譲二を彷彿とさせる強面系)が、「今季の業績が悪い」ということで「アウトレイジ」ばりの迫力ある叱責を朝会で社員一同に浴びせかけていたが、「現場監督」をはじめとするサムソン系のホモビデオに慣れ親しんでいる俺のハートには、この手の強面おっさんの罵声などもはやピクリとも響かない。
なぜなら、この恐ろしいおっさんだって、裏では同じようなおっさんに責められながら「お尻がオ〇ンコになっちゃう!」とか「もっとお〇んちん舐めてぇ~」とか「太すぎるッピ!」とか言いながらカマホモテンションであえぎまくっているに違いないからだ。
世間に存在するおっさん全般に強くなったこと。これを俺は、淫夢厨になって得た最大の能力としてここに挙げたい。
また、汚物に対して耐性がついたということを挙げてみてもいいかもしれない。
基本的に尻の穴を使ってホモセックスを行うホモビデオにウ〇コはつきものだが、こういった映像に慣れ親しむことによって汚物に対する拒絶感がいくらか減少したように感じている。まあ、こんなもんに耐性がついたところで何の役に立つのか今のところ全くもって不明なのだが、人生というのは何がおこるか分からないものなので、耐性があるならそれにこしたことはないだろう。「糞喰漢」の糞尿レストランパートとか、ああいうのは汚すぎて未だに絶対に見れないが。
■結局、メリットとかデメリットとか関係ないけどな
まあ、そんなこんなで、世間一般で嫌われる淫夢厨にも少なからずのメリットはあるのだということを、この記事では伝えたかった。
もっとも、淫夢厨などメリットデメリットを考えてなるようなものではないので、例えおっさんに耐性をつけたいからといって「課長壊れる」などを視聴することはおすすめしないが。
俺はきっと、これからも淫夢厨であり続けるだろう。
実はニコ動の凋落に従い、ここしばらくは淫夢から離れていたのだが、ひょんなことからまたホモビのすばらしさに触れ、現在は淫夢動画はもちろん、「G-men」や「Badi」といったホモ雑誌、ケツデカピングーなどに囲まれた男臭い生活を謳歌している。
今後も、辛いことや悲しいことにぶち当たる度、心の中の野獣先輩が「お、大丈夫か大丈夫か」と言って慰めてくれる…そんな至福の日々を夢想しつつ、今回の記事を終わりとしたい。
最期まで読んでくれたホモのみんな、ありがとナス!