陰キャラが言われる「モテそう」の真実とは
▪️あまりにうかつな学生時代の俺
▪️「モテそう」な陰キャラは意外と多い?
▪️これが陰キャラにかけられる「モテそう」の真実だ
▪️マジでモテる陰キャラもいる
陰キャラと観る『アウトレイジ 最終章』 ※もう見た人向け! ネタバレあり!※
観てきましたぞ。アウトレイジ。
しかも公開初日にな!公開日初日に映画を見るなんてあたしはじめて。
今回、初めて行く映画館で見たのだが、終電ギリギリ終わりのレイトショーであったにも関わらず、場内には結構お客さんが入っててびっくりした。
やっぱり、皆好きなんだね。アウトレイジ。
俺も、大好き。アウトレイジ。
もうドキドキ、止まらない。
というわけで視聴。ほぼ一年ぶりに会う「映画泥棒」の撮影機くんとサイレンくんに心の中でご挨拶。
その後、唐突に入る「ワーナー・ブラザース」のロゴにちょっとびっくり。『アウトレイジ』は、なんか知らん間にワーナー配給になっていた。
まあ、それがどういう意味を持つのかは俺にはちょっとわからんけども。
▪️観覧後の率直な感想
そんなわけで、1時間45分、日本が誇るクライムムービーの世界にどっぷり浸ってきたわけなんだが、見終わった後の俺の心の中の率直な第一声は、
とりあえず、発端がSMプレイってどうなのよww
これでした。
この『アウトレイジ 最終章』では、日本のヤクザと韓国のヤクザの抗争が描かれるわけだが、その抗争の発端となる事件が、ピエール瀧扮する花菱会所属のヤクザ・花田が、韓国ヤクザの経営するホテルでコンパニオンの女の子に文句をつけた、というものだった。そしてその内容が、「女の子がSMプレイに対応していない」というもの。
↑ギャグボールを装備した状態ですごむという高度なギャグを惜しげもなくかますピエール瀧氏(『アウトレイジ 最終章』公式サイトより)
女の子が「お客さんが変なことしろって言ってくるんですー」とか言って泣いてたから、てっきりめっちゃハードなM女的プレイを要求されたのかと思いきや、まさかのM役は男の方であった。
自分、ここで笑いこらえるのに結構がんばりましたよ。ええ。
…しかし、これはある意味、『アウトレイジ』特有の社会派的な怖さのあらわれでもある、ともいえる。
何しろ、初代である『アウトレイジ』だって、池本組と村瀬組の抗争は「ほかの組のヤクザをうっかりぼったくりバーに勧誘しちゃった事件」に端を発するものだった。
大きな事件も、もとをたどるといつも発端はしょーもない。これは、ヤクザの世界でも、カタギの世界でも同じだ。
ゆえに我々は、『アウトレイジ』を見て、「不安の種はいつ、どこで転がっているかわからない」ということを再認識し、「ワシらも気をつけな…」と肝を冷やしつつ、物語の世界に没頭できるのではないだろうか。
そう思って見ると、このピエール瀧の顔が物凄く怖いものに見えて……こないか。
まあ、画像で見るから面白いけど、映画だとなかなか迫力があってよかった。「せめてギャグボールは外せよ…」という心の声がずっと聞こえてきてはいたが。
ちなみに、このあと実際に花田が女の子とSMプレイに興じるシーンがあったのだが、なんか手足をベッドに拘束された状態でロウソクを垂らされるだけという非常にヌルいものであった。
こんなものは我々M男業界では挨拶代わりと言ってもいいような軽いプレイなのだが、韓国資本のコンパニオンはこんなことにも対応してくれないらしい。M男にやさしくない国、韓国。
▪️気になる続投組の活躍
さて、そんな『アウトレイジ 最終章』だが、やはり気になるのは続投組がいかに物語に絡んでくるのか、ということだ。
特に、前作である『アウトレイジ ビヨンド』で圧倒的な存在感を見せた西田敏行、塩見三省の「花菱会幹部コンビ」が今作でどのように動くか、非常に気になるところであった。
前回の記事で、「アウトレイジの魅力は義理も人情もなしに人が無様に死んでいくところだ!」みたいなことを書いたが、このお二方に関しては無様に死んでほしくない、という思いがあった。
なんせ、前作であれほどの強キャラ感を醸し出し、俺を夢中にさせた二人である。ビヨンドの視聴後しばらくは、二人の口調がちょっとうつってしまい、妹に煙たがられるということもあったが、そんな思い入れのある西田&塩見組だけに、いわゆる「ドリル系」の処刑の餌食にだけはなって欲しくないな、というのが、視聴前の俺の素直な気持ちであった。
そんなドキドキをかかえながらの視聴だったが、終わってみると俺の感想はもう大満足!である。
特に、西田敏行扮する西野はよかった。
途中までの展開で、「無能な老害ヤクザ」という死亡フラグをビンビンにおったててしまった西野だけに、そこからの逆転劇にはシビれた。
特に、山王会の事務所に殴り込みをかけるシーンなんてもう最高で、DVD化したらそこだけ切り取ってiPhoneにいれてどこでも何度でも見てしまいそうな勢い。
前作の『ビヨンド』の西野はただただ怖い人、といった感じだったが、『最終章』では怖さもありつつ、ユーモアもありつつ、でもそこがかえってめちゃめちゃ怖いヤクザ、そんな印象だった。
そして『ビヨンド』で、初めてのヤクザ役にも関らずめちゃめちゃ怖い演技を見せつけてくれた塩見三省。
『最終章』では「え…なんかあったのか…」ってくらいにやつれてしまっていたが、実はご病気をされて、後遺症が残る中での撮影だったようだ。
それだけに、前作のような圧倒的迫力はなくなってしまっていたが、『最終章』での塩見扮する中田の立ち位置的には、その焦燥感が完全にプラスに働いていた、と思う。
実は病気のことも、この記事を書くために調べて分かったことであって、それまでは俺、あそこまでやつれてるのも役作りのためって、完全にそう信じてたくらいだからね。
前二作は暴力描写や、迫力ある怒鳴り合いが魅力だったが、それに比して今作は、一歩間違えれば死が訪れる、ヤクザ社会ならではの高度な謀略戦が主題だったかな、という印象。その謀略戦を、個人的に思い入れのある前作からの続投組が制してくれたのは素直に嬉しかったし、やられ役の大杉漣の小物感も素晴らしかった。
やはり、名優と言われる人たちの演技は違う。
▪️もう、本当にこれで終わりなのか・・・
たけし扮する大友は、今作でも相変わらずいいとこどりな役だった。サングラスを装備しつつ、寡黙に標的を撃ち殺す様に、前作の高橋克典演じるヒットマンを重ね合わせた『アウトレイジ』ファンは俺だけじゃないんじゃないだろうか。
それにしても、今作の大森南朋の位置には、やはり中野英雄演じる木村がいて欲しかった、とは思う。
そんな木村の仇討もしっかりこなして、「あ、大友さん。木村のことちゃんと覚えてたんだね。」と胸を撫でおろしたのもつかの間、大友はラストのシーンで拳銃をこめかみに押しあて、きっちり「ケジメ」をつけてしまう。エンドロールに数秒間だけはいった釣りの情景が、走馬燈のようでなんだかもの悲しかった。
今も昔も、「最終回詐欺」というやつは多い。よく知らない作品なら「セコいことやってんじゃねーよ!」と罵りたくもなるが、大好きな作品ならば話は別。詐欺だろうがなんだろうが、続いてくれるというのは素直に嬉しいものである。
しかし、この『アウトレイジ』という映画は、大友の物語である。
ゆえに、あのような、視聴している誰もがはっきりと分かる形で大友が自分の人生に幕を引いてしまった以上、もはや続編は望めないのだろう。
かなり綺麗な終わり方だったと思うので、「ここで終わってよかった」と感じる自分ももちろんいるのだが、「もっと見たかった」という気持ちがあるのも、まぎれもなく事実だ。
『アウトレイジ』シリーズはここで終わってしまったが、北野武監督作品はこれからも世に出続けると思うので、引き続き、たけし独特の渇いた暴力の世界に期待し続けたいと思う。
『最終章』は怒鳴り合いや暴力描写の迫力が薄めな分、ストーリーがかなり作りこまれており、初見の面白さなら、個人的には『アウトレイジ』シリーズ随一であった。
今後、DVD化した際に何度も見返して、さらなる魅力に気づくかもしれない。一度見終わったたあとで、もっと見たい、もっと知りたいと思わせてくれる、非常に魅力のある映画だったと思う。
劇場で見れてよかったなぁ。
陰キャラ的・本記事への自己評価
★★☆☆☆ ( 2 / 5 ) 「個人的な趣味に走りすぎでしょう。」
陰キャラはよく自己評価をする。他の人間が一切自分のことを評価してくれないから、自分で自分を評価するしかないのだ。
まだ見てない人にプロモートする系の記事にするか、もう見た人に向けて感想を語る系の記事にするかで迷ったが、後者を選択。視聴後の素直な感想を、率直にぶつけたかったからだ。
…で、その結果、出てきたのがM男ってどうなのよ。
これじゃ「陰キャラと観る」じゃなくて「M男と観るアウトレイジ」じゃないか(憤怒)
陰キャラと観る『アウトレイジ』 〜陰キャラにこそ観て欲しい!!マジもんの仁義なきヤクザ映画〜
※本記事は『アウトレイジ』『アウトレイジ ビヨンド』のネタバレを含みます。※
10月7日はアウトレイジ!!
ついに『アウトレイジ』シリーズの最終章が日本で公開されるということで、俺の胸は一週間ほど前から高鳴りっぱなしだ。そして、劇場での上映をあと数時間に控えた今となっては、もういてもたってもいられない。眠ることもできずに、さっきから檻の中の熊のように、部屋の中をぐるぐる歩き回っている。
このまま無為に歩き回っていても仕方がないので、せっかく開設したブログで『アウトレイジ』シリーズの魅力を振り返ってみることにした。
なぜ俺のような陰キャラが、対局にいるはずのヤクザの世界にこれほどまでひかれるのか。そんな疑問にアンサーをだしつつ、『アウトレイジ』の面白さを改めてプロモーションしてみたい。
▪️そもそも、『アウトレイジ』とは
『アウトレイジ』シリーズは、北野武監督による、日本のヤクザ映画。2010年公開の『アウトレイジ』と、続編である2012年公開の『アウトレイジ ビヨンド』、そして、もうすぐ公開される『アウトレイジ 最終章』からなる。
北野武扮する主人公、大友が「outrage(激怒、暴力、非道な行為の意)」の名に違わぬ怒りと、暴力でもって、ヤクザ社会を強かに生き抜いていく様が描かれたクライムムービーだ。
とにかく、登場人物が全員、揃いも揃ってろくでもない奴だというのが印象的な作品で、キャッチフレーズである「全員悪人」は一部でブームを呼び、一時期はこのフレーズに合わせたコラ画像が大量に作られたりもした。
↑2014年を彩った悪人たちをアウトレイジ風に並べたコラ画像
ヤクザ映画ファンだけでなく、その他大勢の映画好きにも幅広く愛される、北野作品中屈指の名作と言えるだろう。
▪️陰キャラは暴力描写がお好き
俺はこの『アウトレイジ』という作品が大好きである。
しかし、人に「俺、アウトレイジ好きなんですよねー」とか言うと、だいたい高確率で「えー、意外―」とか言われる。
なんせ、「暴力」と「怒り」をテーマにした「ヤクザ映画」だ。全てのワードが俺みたいな、学校の休み時間にトイレにいっていた隙に陽キャに椅子をとられ、泣く泣く「大」の方に籠って始業のベルを待っていたような経験のある陰キャにはそぐわない。
だが、陰キャの皆なら分かってくれるだろう。俺たち陰キャラは、暴力描写が大好きだ。
何しろ、この社会から虐げに虐げられ続けた結果、陰キャになってしまった俺たちである。社会に対する…ひいては、陽キャに対する恨み、DQNに対する恨みつらみは、筆舌に尽くしがたいものがある。だが、俺たちはそんな連中に対して何も報復することができなかった。だって陰キャラなんだもん。
その結果、たまってしまったフラストレーションというやつは、恐竜のように大きく、強い。ゆえに、漫画や映画といった架空の世界で執行される暴力に対して、俺たちは思いを馳せ、自分の姿を投影し、さらに暴力を振るわれる側に恨んでいる相手の姿を重ね合わせ、楽しむのである。
え?暗いって?キモイって?
当たり前だろうが。陰キャラなんだから。
▪️陰キャラ的『アウトレイジ』の良さ
だが、このような陰キャラ的ロジックに基づいてヤクザ映画を楽しもうとした場合、大きな障壁が立ちはだかる。
それが「仁義」というやつだ。
ヤクザ映画と言えば、常に「仁義」の影がつきまとう。しかし、個人的な感想だが、陰キャラは基本的に、この「仁義」というやつにあまりいい印象を持っていないのではないかと思う。
なぜと言って、「仁義」とは、言い換えて見れば一種の人間関係だからである。「受けた恩にはしっかり報いる」とか、「先輩には逆らわない」とか「トモダチ、ダイジ」とか言うような、陽キャラが好きそうな倫理観がこの「仁義」の中にはみっちりと詰まっているような気がする。
そして、俺たち陰キャラはそんな陽キャラ的価値観に共感することができないのは言うまでもない。「絆」って言葉、俺は最高にダサいと思ってますよ。ええ。
しかし、ヤクザ映画ではなにしろこの「仁義」が強い。どれだけ悪いことをやっていようが、人を苦しめようが「仁義」を通せば形がつく。「仁義」の名のもとに善良な人に迷惑をかけたり、弱い人を殺したりするような奴が、ヤクザ映画の世界でなら英雄になれるのだ。
「仁義」を通せるやつは、生き残るか、死ぬにしても華々しい、カッコいい死に様が与えられる。それを見て、陰キャラたちは身悶えする。「こんなクズが…!仁義通したってだけで…!なんで……!」この感情、俺たち陰キャラがコミュニケーション力のある陽キャやDQNに対して抱きがちな感情と非常に似ているのではないだろうか。
しかし!俺たちの『アウトレイジ』には「仁義」がない。マジでない。
いや、正確に言えば「仁義」っぽいものはあるのだが、それを通したからと言って、生き残れたり、カッコよく死ねたりということはない。例を挙げるなら……
大友組若頭 Mさんの場合
※画像は『アウトレイジ』より
大友組の幹部として、『アウトレイジ』で活躍する。格下のヤクザを怒鳴り散らしたり射殺したり、警察にタバコを投げつけたりしてやりたい放題のヤクザライフを満喫。映画のラストで、大友組が巨大ヤクザ組織、山王会に潰される際も、大友を裏切らず、腹を決めるという仁義っぷりを見せる。しかしその後、彼女とSEXした後にさらわれて港に連れていかれる。そこで、車に括り付けたロープを首に巻かれた後、急発進した車に首を引きちぎられるという西部劇みたいな刑法で惨めに殺される。
元・村瀬組若頭 Kさんの場合
※画像は『アウトレイジ ビヨンド』より
『アウトレイジ』と続編の『アウトレイジ ビヨンド』に登場。『アウトレイジ』では、大友に顔を切られる情けない役回りだったが、物語のラストで大友を刺し、復讐を果たす。『アウトレイジ ビヨンド』では、大友と手を組み、山王会との戦争をおっぱじめる。その際、山王会の宿敵である花菱会に助力を頼みに行くが、大友が花菱会幹部の対応にブチぎれたため、交渉は難航。あわや大惨事…と思われた際に、自分で自分の指を噛み切って大友の非礼を詫びるという、作中随一の男気を見せつける。その後、大友と兄弟の盃を交わすことで作中No.1の仁義っぷりを確立した彼だが、物語のラストでは、事務所でくつろいでいるところをぶっ潰した山王会の残党に射殺されるという最期をとげる。果たした役割の割に、その死に様はあまりにあっけなかった。
…いかがだろうか。
このように、『アウトレイジ』の世界では、「仁義」がほとんど意味を持たない。「仁義」を通していようがいまいが、死ぬ奴は死ぬ。惨めに、カッコ悪く死ぬ。このドライさが、陰キャラ的には実に心地良いのだ。
「コミュニケーション力」とか、「人間関係」とか、「縁」とか「絆」とか色んな言葉があるけれど、結局そんなもん、最後にゃ役に立たねえ。そのことを再確認させてくれる『アウトレイジ』シリーズは、「仁義」嫌いの陰キャラでも安心して見れる、ジャパニーズ・ヤクザムービーの傑作だ。ハラショー。たけし。
▪️『アウトレイジ 最終章』はどうなる?
そんな大好きな『アウトレイジ』だが、公開を控えた最終章に対して、一抹の不安が残るのも事実である。
なぜと言って、前作にあたる『アウトレイジ ビヨンド』で主要キャラが殆どみんな、死んでしまったからである!
個人的には、中野英雄扮する木村と、小日向文世扮する刑事の片岡くらいには生きていてほしかったのだが、物語の終盤で普通に死んでしまった。さらに、神山繁扮する花菱会組長のように、役者さんがお亡くなりになったために物理的に出演が不可能になってしまったキャラもいる。
残されたキャラが殆どいない中で、『アウトレイジ 最終章』はどうなるのか。新しいキャラ達は、生き残った数少ないキャラにどのようにかかわっていくのか。そして主人公、大友の末路は…?
『アウトレイジ 最終章』への圧倒的な期待と、一抹の不安。俺のドキドキは、もう止まらない。
陰キャラ的・本記事への自己評価
★★★☆☆( 3 / 5 )「頑張りましょう。」
陰キャラはよく自己評価をする。他の人間が一切自分のことを評価してくれないから、自分で自分を評価するしかないのだ。
眠れないから書いた記事。ほとんど勢いで書いた割には、割と文章がまとまってるかな、という感想はある。『アウトレイジ』の魅力をプロモートする、とか言いながら、作品の核心をつくようなネタバレを連発でかますのはどうなんだ。『アウトレイジ』未視聴の方、申し訳ない。でも、ネタバレ込みでも楽しめる映画だと思うのでぜひ、見てみてください。本当は2.5にしたかったけど、半分の★をどうやってだすか分からなかったので、『アウトレイジ』への愛も込めて★3。
【ご挨拶に変えて】陽キャラどもは全員俺に謝罪しろ!!
光あるところ、寄り添うようにして必ず闇がある。
悪がなければ正義もないように、対立する概念があってはじめて、その概念は意味を持つ。
すなわち、陰キャがいなければ陽キャもいない。
陽キャラどもは、俺たち陰キャラがいてはじめて、陽キャラとしての存在意義を持つのである。
そのことを分からずに、俺のことを「陰キャ、陰キャ」と呼び続けバカにしてきた自称陽キャども。
貴様らは今すぐ、その場で俺に謝罪しろ
「わたしめらのような『ウェーーーイ』と『それな!』くらいしか語彙のないチンパンどもが陽キャとして存在できていたのは貴方様のおかげでございますぅーーー!ブヒーーン!!ブヒェーーン!!」と鳴き、なおかつ舞え。舞い踊れ。
だがな、貴様らがいくら泣こうが喚こうが、陰キャラとして過ごした俺の苦い青春が取り戻せるわけではない。
貴様らが例え、俺に金を送ってこようが、ビットコインを送ってこようが、ニンテンドースイッチを送ってきてくれようが、iphone8を送ってきて下さろうが、21.5インチの液晶ペンタブレットをプレゼントしてくれるという粋な心遣いを見せてくれようが、俺の心の傷が癒えるわけでは決して、ないのだ。
陰キャラとして虐げられる中、ためにためこんだ二十年強の恨み、つらみ。
それを忘れて、どうして今更陽キャラどもの輪の中に入って「ウェーーーイ」とかすることができようか。いや、できるはずがない。
ならば、良し。
俺は俺のスタンスを絶対に曲げねぇ。
陰キャラとして、陰キャラのままで面白くなってやる。そして、いつかこの日本の面白い奴界に、「陰」の御旗をおったてて、俺をバカにした陽キャラどもを見返してやるのだ。
そのためにもとりあえず、俺はブログを開設してみることにした。
なにしろ、Twitterとかは陰キャラにとって敷居が高い。ふとしたところから身元がバレ、昔の知り合いに「あいつ陰キャラの癖にTwitterとかやってやがんのwwwプギャーーwwww」とかされるのが怖いからである。
同様の理由で、facebookとかももちろんNGだ。インスタなんてもはや、その名を聞くだけで背筋が凍る鳥肌が立つ。
それに何より、Twitterとかfacebookとかでは、俺の陰キャラとしての恨みつらみを上手く吐き出せる気がしない。やっぱり、恨みは文章量。それについて2000文字以上書けるくらいの怨念があってはじめて、ネガティヴな感情は迫力を持つというのが俺の持論だ
そんなこんなで、開設したのがこのブログだ。陰キャラ独自の斜に構えた視点から、なんとか「陰キャラにしか書けない面白い記事」を書けるよう、精進していきたい。今後とも、どうぞよろしく。
陰キャラの君は僕と握手!
陰キャラ的・本記事への自己評価 ★★★☆☆ ( 3 / 5 ) 「普通です。」
陰キャラはよく自己評価をする。他の人間が一切自分のことを評価してくれないから、自分で自分を評価するしかないのだ。
とりあえず、一発目の記事。文章にしたいことはそれなりに書けたと思う。
本当は、最後の段でオチに持っていければ良かったのだが、あまりにも何のトラブルもないままブログを開設できてしまったので、落とすようなネタを思いつくことができなかった。ここで思い悩んで開設を遅らせてしまうと、ブログを書くこと自体が嫌になってしまいそうだったので、とりあえず出すことにした。
「面白い陰キャラ」への道のりは長い。